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オランダ史に学ぶ(上)

今日は最近とてもよい本に出会ったのでその紹介をします。

繁栄と衰退と オランダ史に日本が見える 岡崎久彦

なんだかんだ私の解説を付けるよりか気に入った部分を
そのまま抜き出した方が説得力があると思いますので(笑)
私が気に入った部分を抜き出してみます。


平和主義の罪
ウィルソンは次のように続ける。
「現在(註・第二次大戦前後の頃)、英国の戦賂は、英国の通商路を守るための海軍力を中心に構築されているが、実は1630年代及び1670年代には、英国の戦術はもっぱら攻撃的(他の通商路を脅かすという意味)なものであった。
英国の立場から書かれた通俗的な英蘭戦争の歴史は、英蘭戦争を競合する利害間係を持つ二つの同等の国の間の衝突のように書いている。中には、オランダの経済的優位が英国の安全にとって何か脅威であったかのように書いてあるのもあるが、これは間違いである。
才ランダという国は本質的に平和的であった。オランダは、英国やフランスにとって何ら脅威ではなかった。ただ、その経済的優位を誇って一歩も譲ろうとせず、またその経済的優位は経済的方法によっては覆すことが出来なかった、というだけのことである」
オランダは真に平和主義の国であった。国際法の祖といわれるグロチウスは、まさに当時のオランダの産物である。また、当時のネーデルラントの画家は戦争を呪い、戦争の悲惨を訴える絵画を描き続けた。17世紀のオランダ史にとって最も価値の高い文献と考えられている、いわゆる「デ・ウィットのメモワール」の元の作者であるド・ラ・クールは次のように書いている。
「オランダにとって戦争、とくに海上の戦争は何にもまして有害であり、平和は極めて有益である。オランダの商品は海上にあるか、あるいは多くの場合、外国の倉庫の中にあるのであるから、何時も危険をともなっている。オランダの富の大きな部分は、掠奪者の餌食になり易い。一般的にいって、外国人はオランダほどの貿易商品や船舶を持っていないから、外国人がオランダ経済の弱点を突いた場含、オランダはこれに報復することは困難である。したがってオランダは、いかなる条件の下でも自分から戦争を仕掛けることはない」
オランダが、自分の都合で平和を最も欲していたことはよくわかる。問題はオランダが、その国是ともいうべき平和主義のために戦争の危険に直面しようとせず、追る危険に眼をつぷっていたことである。
バーカーは言っている。
「オランダの政治家達は、国内政治では常に詐術や暴力を使っていたにもかかわらず、国際政治や戦争の問題についてはセンチメンタルな観点に立ってものを考えた。戦争の恐怖については文学的な調子で書き、かつ語っていた。そして、戦争というものは、国家が何らかの形で富を獲得するビジネスの一つであり、損益勘定もある程度までは計算出来るビジネスであることを閑却していた」
つまり自分中心に、「戦争はいやだ」「何としても戦争は避けねばならない」というセンチメンタルな議論や、「戦争はしてはならない」という国際法的な議論ばかりして、他の国から見れば戦争は差し引き得になるという勘定も成立する一つのビジネスでもある、という事実に眼をつぷっていた、ということである。
とくにイギリスとの戦争などは、オランダ人から見てあり得べからざることであった。
アングロ・サクソンとオランダ人はほとんど同文同種といってよい。もともとアングロ、サクソン、ジュートの三部族は、現在のオランダからデンマークにかける地域に住んでいた。当時、オランダ付近にいた部族でイギリスに渡ったのがイギリス人となり、大陸に残ったのがオランダ人だといっても過言でない。言葉も、もしフランス語化したノルマンの英国征服がなかったならば、英語はオランダ北部のフリースラント地方の言葉とほとんど同じだったという。
政治思想もほとんど同じである。現在の世界の政治思潮の主流であるアングロ・サクソン風のデモクラシーというものは、近代思想の産物というよりもむしろ部族国家の頃からのアングロ・サクソンの古い伝統的制度、伝統的なものの考え方に根ざすところの方が大きいという。
それは、イギリスの大憲章(1215)、才ランダの大特権(1477)、スペイン王に対する忠誠破棄宣言(1581)、オランダ人とイギリス人の合作ともいうべき権利宣言(1689)、アメリカの独立宣言(1776)をくらべてみれば、それがいずれも同じ発想の流れの上にあることは明白である。しかもオランダ、イギリス両国は、それまでの間、旧教国スペインの脅威に対して、運命共同体として共同で立ち向ってきた。その英国がオランダを攻撃するなどということは考えられないことであった。
バーカーは書いている。
「オランダの政治家の眼には、英国はオランダの自然な友人であり、同盟国であるとしか映らなかった。英蘭両国は多くの紐帯で結ばれていた。両国はヨーロッパの代表的な新教国であった。両国は巨大なスペイン帝国の脅威から国家の自由を守るために、肩を並べて戦った。英国では1649年にチャールズー世が処刑され共和国が設立され、オランダでは1650年のクーデターで総督が廃された。英蘭両国は革命政府によって統治されている共和国であり、ともにヨーロッパの君主国の敵意を警戒せねばならず、お互いに助け合わねばならなかった。
かくて英蘭両国は、共通の利益と、共通の脅威と、共通の歴史と、同じような社会の発展と、同じような政治制度と、間じような政治釣環境によって、お互いに結ばれていた。英国どオランダとの戦争などは、少なくともオランダから見て、想像し得る政治的危機の中で最も可能性の低いものであった。
しかし、政治と商売とは別の話である。オランダにどって破滅的な戦争をもたらした英蘭間の摩擦は、主として英国側の商売上の嫉妬から起ったものであった」


当時のオランダの冠婚葬祭の贅沢さは、オランダ内でもカルヴィン派の人々の顰蹙するところであり、贅沢禁止令もしばしば出されたらしい。しかし、その中で最も厳しい禁止令は、第一次英蘭戦争で英国の海上封鎖を受けて国民が飢餓に瀕した時のものであったが、それでもその内容は、結婚式の披露宴の客は50名、宴会の期間は2日間を超えてはならないというものであったという。
昨今、日本の結婚式にかかる費用は東南アジアの上流階級をも驚倒させるほどであり、欧米人に話すとただ盾をひそめるだけである。しかし、日本人にはキリスト教の伝統もない。また伝統的な武士の質実剛健の規律を実行し得る家庭も、今やほとんどない。お金がかかり過ぎるという不平以外には、何の反省もなくまかり通っている。間題は、当時のオランダと同じように、これを見た外国人がどう感じるだろうかということである。
ヨーロッパが30年戦争で窮乏し飢えている時に、オランダでは労働者でさえ給料の30%で必要な量のパンが買え、それ以外に肉と酪農品をふんだんに食べていた。
英蘭戦争で海員を募集するためにその食事の質が法令で定められたが、日曜と木曜はハム、羊肉、牛肉、それ以外は燻製や塩蔵の魚と野菜中心で、現在の計算では一日平均4800カロリーに達したという。英、仏の旅行者は、オランダ人が活きている魚以外は食べず、また鯖やぼらなどは食用に適さないと言って捨てるのを見て恐怖を覚えたという。
今、東南アジアから日本に輸入される蝦は、すべて寸法が揃っていなければならず、ひげ一本、爪一つ取れていても輸入業者からはねられてしまう。蝦が動くとひげが取れるので、活きたまま直ちに冷凍して日本に送る。そのために目方も増え運賃もかさむが、こうしなければ日本の市場には出せないし、こうした品質管理を学んだ国だけが日本に輸出する能力を持って発展する。
日本人は、こうして品質管理を覚えさせることにより近代化に貢献していると思っている。それはその通りであろう。しかし、これを目のあたりに見る餓えた人々の心の中に、羨望と嫉妬の念が起るのをどうやって抑えられるだろうか。まして、その蝦が載る結婚式の料理の一人前の値段が、彼らのひと月分の給料より高いと聞けばどう思うだろうか。
アメリカは第二次大戦後の世界的窮乏の中で、この世の天国かと思われるスーバーマーケットを誇り、世界の羨望の的となったが、他面、戦後世界の復興に莫大な資金を投入し、自らの市場を広く開放してドイツ、日本、韓国などの国の工業製品を吸収してその成長を助け、かつ40年にわたって共産側の庄力に対抗して自由世界の安全を守り通した。
豊かさに加えて力があれば畏れられ、実行力があれば尊敬される。しかし今後の日本は、他国に畏敬されるだけの何を持てるのであろうか。まして一度負けた国の繁栄は、カルタゴやオランダの例を見るまでもなく、勝った側の国の反感と嫉視の的となる。畏敬されなければ、いじめの対象となり易い。


ここで、戦後の日本の制度とは何だろうという疑問も生じてくる。現行の制度の基本的な考え方は、放戦後、米軍の占領下にそのレールが敷かれたものであるが、戦前の強力な中央集権体制、とくにその極端な形としての軍国主義体制の復活を阻止するのがその目的であった。
したがって、現在の日本の制度の目的は市民的自由の確保にあるのであって、右に述べたような意味で、日本が国家として他国から畏敬されるためのものではない。こう言ってしまえばそれまでのことである。しかし17世紀のオランダのように、各州の個別利益や市民的自由を死守するのはよいとしてその結果、外国との摩擦や外国からの脅威に対処し切れなくなって、各州の個別利益や市民的自由も、その元である国の独立も一緒に失ってしまうのでは、それこそ元も子もない。日本の戦後体制も日本の独立あっての体制であり、独立が失われれば、その体制が保証している自由も何もなくなってしまうことは言うをまたない。
おそらくどんな制度でも、中央の政策決定能力と各個人、各団体の権利との間に、何らかのバランスが必要なのであろう。17世紀のオランダの場合は、明らかにそのバランスが欠けていたために、対外処理を誤ったといえる。
現在の日本の政治体制にも多くの間題点が指摘されているが、その間題は政治が自分で解決するほかはない。政治以外のカで政治の仕組みを変えさせようという試みは、いまだかつてよい結果を生んだことがない。中央決定のカが弱いという問題も、政治自身による解決を待つのが議会主義の正道である。


はぴこる反戦思想
もう一つ、17世紀のオランダと現在の日本が酷似しているのは、その反戦思想である。
軍隊というものは大変お金がかかるだけでなく、ほうっておくとどんどん発言力が強くなって、州政治家の発言力を弱くしてしまう。それが、総督のオレンジ家のカを強くすると絶対君主制のようになって、勝手に同盟を結んだり戦争を始めたりする危険がある、という軍隊性悪説である。
軍を強くすればやがて軍国主義的な政府になって、勝手に戦争を始めてしまうという戦後左翼思想のステレオタイプと全く同じである。
その結果、防衛力の質や量も制限され、防衛力整備の目的やその使い方にも政治家の国内的考慮が優先するようになる。敵の攻撃が目前に追っているのに、先制攻撃も出来ない専守防衛の考え方。それも、ほんとうの専守防衛に徹して、自分からは攻めないが、何時、どこから攻められても国民の安全を守れるような万全の準備をする、というのならば話はわかるが、そうではない。
防衛体制の強化をはかる気は全くなく、平和外交にだけ空しい望みを託して、それが失敗した場合のことを考えることも拒否する精神的な態度。そして、敵が攻撃の準備のために営々として軍需補給物資を買い集めているのに、それに対する禁輸も実施出来ないという経済、通商の自由の優先の考え方。どれをとっても、今の日本の反戦思想と驚くほど似ている。
反戦思想の下に軍隊を作ると、おそらく必然的にそういう形になるのであろう。
もっとよく似ているのは、防衛論争のあり方である。オランダでは、防衛論争はそのままオレンジ派とアムステルダム中心の政治家との間の党争であった。党争となると全くのゼロ・サム・ゲームで、相手が一ミリでも得をすれば自分はその分だけ損をする。そうなると、どのあたりがオランダ国家全体の利益にとってバランスの取れたところか、という観点は全く存在しなくなって、ありとあらゆる接点で一ミリも譲るまいという、不毛の戦いが繰り広げられる。
日本の防衛力のあり方についても、どこが妥当なところかということは具体的に明確にすることは難しいとしても、国連平和維持活動のために非戦闘目的で自衛隊を派遣することぐらいは、どこの国でも行っている最低の国際的義務だから当然だということと、国際政治と国際軍事パランスに影響を与え得るような本格的な武力行使をすることは、どこの国にとっても国の命運に関することであり、その歯止めのかけ方には諸説あろうが、いずれにしても、慎重の上にも慎重を期して国民の叡智を結集して判断すべきことだ、という程度のことならば国家のあり方の常識としてとくに反対もあり得ようもないであろう。
しかし、それがいったん党争となると、日本の場合では建前論の意地の張り合いとなると平和維持活動だろうと非戦闘目的であろうと、自衛隊が一歩国外に出ると、そのまま全面戦争に参加する第一歩になってしまうという議論になってしまって、どのあたりが日本の国と国民の将来の幸福にとって最も望ましいバランスの取れた形か、という視座が全く欠けてしまうのである。
「アムステルダムは現在の平和の果実を楽しむものであり、それは軍隊を維持するのならば不可能となる」という言葉などは、誰が見ても国の安全と平和に関するバランス感覚が全く欠如している。そしてこのオランダの反戦思想は、17世紀後半のオランダの悲劇の引き金となった。オランダの場合は、最後には英国の名誉革命という歴史上の奇蹟によって救われるが、こんな奇蹟はめったに起るものではないし、あてにするわけにはいかない。


オランダの場合は、当時のオランダの財政で十分まかなえる程度の常識的な軍備を持っていれば、いずれの戦争も避け得たように思う。少なくともオランダは征服の対象でなく、同盟の対象に選ばれたであろう。
ただ、過去十年間の防衛論争の経験で私は、日本の反戦思想そのものについては、そんなに根の深いものではないと楽観視するにいたっている。日本の反戦思想は、主として戦争中に戦争や軍隊の被害を受けた個人的体験が、平和時において国の安全保障の心配よりも優先しているだけの話と思う。
その上に、冷戦40年間を通じて共産側の主要目標は、一言でいえば日米安保体制と目本の防衛力を少しでも弱めることにあったために、そのためのプロパガンダがいわゆる進歩思想として空気伝染したものであって、オランダのような血みどろの政争がらみの反戦思想とは違うものと思っている。現にソ連が北方領土に地上軍を配備し、アフガニスタンに侵攻した頃は、社会党からさえも日本の安全を懸念する声が聞かれた。
危機を肌で感じさえすれば、日本国民は17世紀のオランダのように、国が滅んでも自分の党派の主張が通った方がよい、ということにはならないと確信している。
ただ、防衛というものは「治にいて乱に」備えるものであり、危機に気がついてからでは間に合わない。また、国家と軍隊との関係にはある程度世界的な常識があって、あまり風変りであることは対外摩擦をかえって増すことにもなる。
英仏のオランダたたきがとくに公然と激しくなったのは、第一次英蘭戦争でオランダの政治制度と防衛体制の弱みが露呈されてしまってからである。まさに「富は嫉視を招き、弱さは侮蔑を招いた」のである。いわゆる外国の侮りを受ける体制を暴露したので、オランダ非難、中傷の言いたい放題となったのである。
個人の間でも、いじめられ易い人というのはいる。「一寸の虫にも五分の魂」という面魂を持っていれば、いじめられ易いということはない。実際に手を出すかどうかは別間題である。予測が出来ない将来のことを考えると、日本たたきはアメリカだけではないかもしれない。
オランダも、はじめは英国だけがオランダたたきをしていると思っていたが、ふと気がつくとフランスや周辺のドイツ小諸侯までがオランダをいじめにかかってきた。ミュンステルのオランダ侵攻の理由などは、経済摩擦などという高級なものではない。ただオランダが富み、財宝に満ちていて、それを守る軍事力が徴弱だったから、英国のオランダたたきに便乗して富の掠奪に来ただけの話である。




今日はここまでとします。
自分の投稿を上げるよりかスキャナーからOCRで取り込んで、
本と参照しながら推敲する方がかなり辛い作業になりますので(汗)
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