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神道を考える

最近、靖国論争が盛んです。もちろん私も参加しております(笑)
それでしばしば目にするのが「政教分離」なる言葉。
う〜ん、それなら靖国参拝よりも公明党とマルクス教や毛沢東教を
信奉する共産党や社民党の存在そのものはどうなんでしょう?
あ、また脱線。
私は正直靖国問題に関しては政教分離の視点からの考えは
過去にまったくしたことがありませんし、するつもりもありません。
なぜなら神道を宗教と定義すること自体に不自然さを感じるからです。

神道(Wikipedia)

神道(しんとう)は、日本列島に住む民族の間に自然発生的に生まれ育った伝統的な民族信仰を基盤として、豪族層により中央や地方の政治体制と関連しながら徐々に成立した日本固有の宗教。明確な教義はなく、森羅万象に神が宿ると考え、天津神・国津神や祖霊を祀り、儀礼を重んじる。清浄を第一とし、性善説に立つ。「神ながらの道」の略との説もある。
延喜式(907年)以降天皇が祭司権を支配するようになったため本来のものは失われていると思われる。鎌倉時代に伊勢神宮の神官による学問的研究がはじまり、徐々に現在の神祇信仰の形を取るに至った。神道が形成される過程においては仏教の日本への流入が大きい。日本書紀の用明天皇の条に「天皇信仏法尊神道」との記述があるのが最初の出典とされる。

現代の神道
現代の神道は、延喜式により古来よりの大和の王権(大和朝廷)が祀ってきた神々を中心に統制され、仏教や地方の神々(元は氏神など)を習合し、全国的な一大ネットワーク及び独特の宇宙観を形成しているように見える。
現在の神道は、江戸時代の儒教神道や復古神道、明治時代の国家神道の影響を強く受けている。
神道に属する神々を祭神とする社を神社(じんじゃ)と言い、全国の神社の殆どは神社本庁が統括している。特に重要とされる神を祭神とし規模も大きい神社は大社(たいしゃ)と呼ばれる。また天皇家に連なるとされる人物(皇族)や神を祭神とする神社は神宮(じんぐう)という。ただし、近代以前は神宮などを名乗るためには勅許などが必要だったが、現在では政教分離により皇室が神社に直接関与しないため、特に由緒がない神社でも、大社、神宮を名乗る場合もある。 また、伊勢神宮は正式には、単に「神宮」という。

神道の神々
日本の神の一覧参照。

他の日本の神々との関係
地方の信仰 浅間神社など…… 神社ネットワークに取り入れられている
荒吐(アラハバキ)信仰 安倍氏 ……は神道には取り込まれていない
アイヌの神々(カムイ)、琉球の神々とは関係はない
元は精霊信仰・アニミズム的ながら、系統化されるに従い
精霊信仰やシャーマニズムとは区別されるようになった

参拝の方法(拍手)
基本的な作法は「二礼二拍手一礼」である。即ち、2回礼をし、2回拍手(かしわで。両手の掌を打ち合わせ音を出すこと。俗語では柏手とも書く)を打ち、最後にもう一度礼をする。一部の神社では作法が異なっており、例えば、出雲大社や宇佐八幡宮では「四拍手」である。
現在の二礼二拍手一礼に統一されたのは明治期の神仏分離によるもので、以前は各神社によって区々であった。
尚、正式な作法としては、

鈴鐘を鳴らす(寝ていたり、横を向いている神様をこちらに向けさせる)
神霊に向かって拝礼(神様への挨拶)
賽銭を奉納する(神様への供物)
二礼二拍手一礼
自分の居住地および氏名を名乗る(神様が願い事を叶えに来てもらえるように)
願い事を陳べる
二礼二拍手一礼
であるとされているが、二礼二拍手一礼と願を共にし、最後の一礼の際に居住地および氏名の名乗りと願い事を陳べるのが一般的となっている。



相変わらずのウィキペディア頼みの投稿です(笑)
参拝の方法・・・今度のお参りの際は是非実行してみようっと。
今までは思いっきり順序を間違えていました(汗)

本論に戻ります。
明確な教義がないものをそもそも宗教といえるのでしょうか?
そもそも末尾が「道」ですし。
またリンクにある日本の神の一覧をご覧ください。
おもわずニッコリしてしまうような神様がたくさん。
神道とはつくづく日本の風土に根付いた身近なものと実感します。

政教分離の考えは他者に対する非寛容が特徴の一神教にこそ
適用されるべきで教義の無い神道は政治に対して無害です。
国家神道は近代になって不当に捻じ曲げられた神道です。
本来の無害な神道ならば祭政一致にしてもよいのではないでしょうか。
 ↑問題発言かな(笑)

日本の神道は仮に宗教システムとするなら、世界に類の無い優れた
モノといえるのではないでしょうか。キリスト教やイスラム教では
異宗教間の様々な紛争のみならず、様々な分派同士の内部抗争でも
多くの血を流してきました。それは教義の不寛容さ故です。
典型的な多神教である神道は他の宗教にたいして寛容です。
神道が日本の歴史上、争いの原因になったことがあったでしょうか?
私の無知かもしれませんが(汗)無いように思います。
あったとしても例外的でごくわずかでしょう。

私自身の神道に対する考えを述べます。
神道の本質は日本人の祖先や国土に対する素朴な感謝と敬慕にあります。
日本人が日本人であるための日常的な確認を形にしたものともいえます。
ですから神道は「教」「宗」ではなく、「道」なのです。

明治以降は国家権力が支配の道具として利用するため捻じ曲げられた
部分もかなりあるのが残念ですが、本質は変わっていません。
神社が宗教法人なのは神社の運営、宮司の生活が円滑に行くために
税制上の優遇を与えるための配慮による単純な区分けだったのでは?
というのが私の考えです。その区分けが、神道の本質を論じない
政教分離論争になっている、というのが私の見解です。

靖国は神社としては例外的に特定の主張や目的を持つ神社ですので
この論法は通用しないかもしれませんが、これは神社自身の問題。
参拝する側の理非を問うべきではありません。
このことについてはまた靖国関連の投稿で触れるつもりです。

神道の特質を一神教的価値観を持つ国々や人々に理解してもらうことは
かなり大変なことかもしれませんが、やらねばなりません。
日本の成功の要因の一つが神道の他者への寛容さであったという事を
前面に押し出せば少しは興味を持ってくれるかもしれませんね(笑)

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