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マスメディア傾向と対策

おおよそ、文章を書いたことがある方なら自分の考えを明文化する事の
難しさをしばしば味わったことがあるかと思います。そんなときに
自分の中ではっきりしない形でわだかまっていた想念が明文化された
文章に出会ったときの感動と爽快さはたまらないものがあります(笑)

時事系のブログを運営しておられる方やご覧になっている方は
とっくに既存のメディアに見切りをつけておられると思います。
問題点も改善すべき事もある程度お持ちかとも思います。
そんな方でもこの本からはさらに何かを得られると思います。

TVニュース 七つの大罪  クレスト社
ニール・ポストマン 著  石川好 監修  田口恵美子 訳

TVニュースを主に扱っていますが、この本で問題として提起された
事は新聞、雑誌などマスメディア全般に当てはまることも多いです。
そういった意味でマスメディア論としても優れた書と思います。

特に私が痺れたのが、以下の一節でした。
テレビが採りあげる三つの原則があるという。
それは「目を惹く映像、攻撃性、アラ探し」だ。


巻末の「ニュース公害から身を守る法」にこの本のエッセンスが
詰まってますので、また例によって(汗)丸ごと引用します。


ニュース公害から身を守る法
どうすれば、テレビ・ニュースの悪影響からあなたの身を守ることができるのか。最後に、テレビ・ニュースを見るにあたっての心得を八つ、列挙することにしたい。最も効果的な方法は、スイスに移住することだ。だが、スイスの入国制限はかなり厳しいので、これはあまり実用的な手段ではないだろう。以下に挙げる八力条は、この本をここまで読んできた人なら、誰でも実践できることだと思う。

1 自分自身の頭で考えながらニュースを見る
何が重要で、何がそうではないのか。ニュースの重要牲についての明確な判断基準を自分自身で持っていないと、テレビに惑わされるだけだ。
何が起こったかではなく、ジャーナリストや特派員と呼ばれる人たちが「レボートする価値がある」と判断したものがニュースとなるのだ。だが、レポートされていることの重要性を判断するのは、見ているあなた自身であるということを忘れてはならない。
ジャーナリストは、視聴者が自分たちを信じてくれるように願っている。ウオルター・クロンカイトは、CBSの有名な夜のニュース番組の終わりに、
「これが、今日一日のニュースでした」
と言う。だが、これは視聴者を欺いた言動だ。彼は、こう言うべきなのだ。
「これが、私たちCBSが考えた今日一日の出来事でした」
あなた自身が、ニュースの重要性についてしっかりとした考えを持っていれば、ニュース・ディレクターやジャーナリストの選択に容易に惑わされずにすむだろう。もちろん、物事の重要性をどう決めるかというのはひじょうに複雑な問題であり、この本だけではとても書ききれないし、私にはそんな能力もない。ただ、家庭環境と学校教育がとても重要な役割を果たすことは明らかだ。しかし、人生において何が重要なことなのかを教える学校は、すでになくなってしまったようだ。

 2 テレビ・ニュースは「ショー」である
テレビのニュース・ショーを公共施設のように考えている人もいるかもしれない。だがテレビ局は、たえず大儲けを狙っている企業体なのだ。ただ、だから価値がないと言っているのではない。
第一に、「ニュース」は視聴者を集めるための商品なのだ。そしてそれは、スポンサーに売られている。
第二に、ニュースはエンターテインメントの形で伝えられる。なぜなら、それを視聴者が好むからだ。
第三に、すべてのニュース番組は、劇場監督が使う手法で構成されている。つまり、ショー・ビジネスの要素の強いものに重きがおかれるのである。
ニュースの項目は、視聴者をそらさないように構成される。
魅力的なアンカー。エキサイティングなテーマ音楽。三枚目を演しるお天気担当キャスターとのちょっとコミカルな会話。こうして、すべてのニュース番組が、ショー・ビジネスと化す。

 3 コマーシャルの力を馬鹿にしない
コマーシャルは、けっしてくだらないものではない。私はそれを強調してきたつもりだ。コマーシャルは流行の文学の真面目な表現であり、ニュースの真面目な表現だという人さえいる。かつてマーシャル・マクルーハンは、「テレビのニュースは、すべて悪いニュースなのか」と尋ねられたとき、「必ずしもそうではない」と答えた。彼は「コマーシャルこそよいニュースだ」と言う。コマーシャルは、原稿を棒読みするだけの「ストレート・ニュース」と同じくらい、いやそれ以上に私たちの社会について教えてくれる。200年後にアメリカ文化を研究する考古学者は、コマーシャルを見て、私たちが何を恐れ、何を喜び、何を欲していたかを知るだろう。
コマーシャルのメッセージとニュースで伝えられるメッセージとの間の矛盾を見ることは、とても面自いことなのだ。コマーシャルとニュースとは、水と油のようなものだ。だがこの予盾にこそ、私たちの文化にある精神的なジレンマをかいま見ることができるのだから。

 4 ニュース制作者の利害を、まず知る
これは「ウオ−ル・ストリート・ジャーナル」や「アドバタイジング・エイジ」などの業界誌を読まなければわからないので、そう簡単なことではない。だが、後で述べるようにごテレビを見る時問を三分の二に滅らしたなら、その時間で、テレビ業界の人々についてのバックグラウンドを少しは知ることができるだろう。
医師や歯医者、弁護士など専門職に就いている人は、普通自分の事務所の壁にメディカル・スクールやロー・スクールの卒業証書などを掲げている。訪れた客はこれを見て、彼らがれっきとした資格を持つ人間であることを知る。たとえこの証書があまり意味のないものであっても。たとえば、アメリカの医師の半数は、学部卒業時の半分以下の成績でメディカル・スクールを卒業するが、それでも、この証書のほうが、テレビ局のオーナーやディレクター、ジャーナリストという肩書きが語るよりも多くのことを物語ってくれている。
番組を提供している側の人問が、どんな人たちであるのか。どこからやって来て、どんなものの見方をしているのか。あなたとの間係はどうなのか。こうしたことを知ることは、とても役に立つ。年間、何百万ドルも稼ぐ人間と、日々の生活にあくせくしている人問とでは、ものの見方が違うことくらい、マルクス主義者ならずとも、容易に想像がつくだろう。
別に、業界オタクになれと言っているのではない。ただ、ニュースを伝える側の人聞のバッググラウンドが、彼らの報道をどう判断するかという基準に関わってくるのだ、ということを強調したいだけだ。少なくとも、ネットワークやケーブル・テレビのオーナーが誰なのかについては考えてみる必要がある。

 5 ニュースで使われる言葉には要注意
テレビでは、画面に出てくる映像や視覚に訴えるイメージにばかりに気をとられて、それに伴う言葉には、あまり注意を払わないものだ。だが、これはとんでもない間違いである。
ニュース・キャスターの言葉は、その映像を形作る。映像はそれ自体で、ある具体的なものを伝える。しかし、視聴者は言葉によって、その映像が何を意味しているのかを理解する。だからこそ、何が語られているのかに注意を払う必要がある。それ自体で、すぐに何を意味するのかがわかる映像は少ない。言葉の助けを借りて視聴者が理解する。
しかしそこには限界がある。たとえば、飢えに苦しむ子どもの写真はどんな言葉を便っても楽しい映像に見えることはない。だが、その映像が何を意味するかはコメントを待たなければならない。これが両親の責任なのか。政治の貧困なのか。経済システムの崩壊なのか。裕福な人々の無関心なのか。こうした疑問に答えるのが言葉なのだ。しかもその言葉が常に正しいとはかぎらない。
言葉に注意しなければならないもう一つの理由は、レポーターが数多くの質問をしているということだ。一つの質問は、一つの文章にすぎない。だがその文章自体が、質問を投げかけている人の偏見や予測を含んでいる。答える側も固じである。投げかけられた質間によって、どれほど答えが事前に形作られるかは明らかだ。

 6 テレビを見る時問を減らす
少なくとも三分の二には減らしたほうがいい。
老女穀害の罪に問われたロニー・ザモラ(15歳)の事件のことを思い出してほしい。彼は、テレビで暴力を見すぎたために狂わされ、老女殺しに至ったと主張したのだ。陪審員は、彼の主張を却下したが、彼の言い分も考えてみる価値はある。
ペンシルバニア大学のガープナー教授の研究結果では、テレビのニュースをよく見る人ほど、世界を実際よりも危険な所と思い込んでいると明言している。アメリカ精神衛生局の委託を受けたキューべ−教授らの調査もテレビを見ることで、見ないときよりも憂欝になると言う。習慣的にテレビを見ることで狂ってしまうわけではなくても、恒常的に抑圧され、いつも危険にさらされているような思いになる−−つまり、テレビは楽観論者を悲観論者に変貌させると主張すると信じている学者もいるほどなのだ。
もし、テレビを見る量を減らせば、何か大切なものを見逃してしまうのではないかと懸念する人がいるかもしれない。だがニュースは、おなじみの「七つの大罪」(傲慢、貪欲、邪淫、怒り、貪食、妬み、怠惰)が形を変えて登場するだけのことだ。二つか三つの邪淫、四つの殺人事件、そして時には貪食、恨みなど……。週に30−40のこうしたニュースを見なかったからといって、なんの損があるというのか。ニュースは、平凡な日々の生活を反映しているわけではないのである。

 7 「知ったかぶり」は止めにしよう
あなたが持たなければならないと思っている意見も、少なくとも三分の二に減らしなさい。
ニュース中毒にかかる一つの理由は、あらゆることについて、自分の意見を持とうとするプレッシャーだ。特に、大学卒業程度の教育を受けた中産階級は、どんなことに対してもお決まりの意見を持っていなければならないという、非現実的で寄妙な義務感を持っているようだ。
たとえば、タ食パーティーに招かれ、誰かがあなたに、オゾン層の破壊による地球の温暖化についての意見を求めたとする。するとあなたは、「先週の木曜日の『ナイトライン』で、ちょうどその討論を見たんだけど、ものすごい気象の変化が起こるみたいだね」とかなんとか答える。だが本当は、オゾン層についてよく知っているわけでもないし、その番組にしても、断片的な情報しか与えてはくれないわけだ。だとしたら、尋ねられたとき、「そのことについては、あまりよく知らない。特別これといった意見もないね」などと答えるほうがよほど気が楽ではないか。こんな答えを、五回も六回もたて続けに繰り返したら、もう二度と意見など求められなくなるかもしれない。だが、一瞬の注目を惹くために、多くの生半可な意見を覚えておこうと努力することを考えれば、その分の時間を自分の関心事に振り当てられるわけで、そのほうが、うんと充実した人生になるではないか。

 8 子どもたちにニュースの見方を教える
子どもたちに、テレビのニュース番組の見方について教えるよう、学校に働きかけること。そのために、あなたもできるだけのことをしてほしい。児童向けニュース番組『チャンネル・ワン』が果たしたいちばんの利点は、学校でニュース番組について教育する機会を与えたことだ。
もちろんこの番組を制作したウィットルが、そうなるように意図していたわけでも、教師がそう望んでいたわけでもなかろう。だがこれは絶好の機会だ。ニュースの教育は必要不可欠だ。テレビニーュースの世界で何が起こっているのかを理解するには、若いうちからテレビについて学ぷことが大切だ。
これまで学校は、テレビについて教育することに熱心ではなかったテレビを何かの教材として利用することはあっても、テレビが見ている側をどう操作しているかについて教えることはなかった。
しかし、繰り返すが、こうした状況を変えて、子どもたちがテレビについて学ぷようにしていくことが重要なのだ。もし本書を読んで、なるほどと感じるところがあったなら、ぜひそれを子どもたちに教えてあげてほしい。



今回はOCRを使ってみました。古いスキャナーに付属していた
8年ぐらい前のソフトだったのでかなり認識率が悪かったですけれども。
でも、前のようにキーボードで入力するよりもとっても楽できました(笑)
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