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アメリカと原爆論争

「靖国発言」非難声明を一斉報道=反日感情高まりも−中国各紙
【北京24日時事】24日付の中国共産党機関紙・人民日報など有力各紙は、呉儀副首相の訪日中に日本の指導者が靖国神社参拝に関して相次いで発言したことを非難する孔泉外務省報道局長の声明を一斉に報道した。各紙とも新華社電を報じ、大衆紙・北京青年報などは一面に掲載した。
 ただ、呉副首相が小泉純一郎首相との会談を突然キャンセルして帰国したことには触れていない。靖国参拝に関する発言への政府見解が公式報道として一斉に報じられたことで、反日感情が高まる恐れがある。(時事通信) - 5月24日13時2分


昨日の投稿のコメントでmegumiyazakiさんに
以上の記事の情報をいただきました。

1週間以上「小泉靖国行くぞ宣言」を人民にひた隠しにしていた
中国ですが破れかぶれの賭けに出てきたのでしょうか(笑)
洗脳した人民に報告した以上、反応が楽しみになってきました。
中国人民は反日暴動を起こすのか?
中国指導部は反日暴動を容認するのか?
どう動いても中国にとっては自ら墓穴を掘るだけですが(笑)
今週末の動きに注目ですね。


とりあえずこの件は様子見ということで(笑)
今回はアメリカの原爆論争について取り上げたいと思います。
今からちょうど10年前にアメリカのスミソニアン博物館で
原爆についての展示をめぐってすったもんだがあったことを
記憶の片隅にとどめておいでの方もいらっしゃると思います。

その動きと背景などを当時、NHKスペシャルが放送しました。
その番組を本にしたものを、以下に紹介します。

アメリカの中の原爆論争〜戦後50年スミソニアン展示の波紋〜
編集執筆 NHKスペシャル取材班  発行 ダイヤモンド社(1996年)


 序文より一部を抜粋


あと数ヶ月で戦後50周年を迎えようとしていた1994年秋。
広島・長崎も「被爆50年」という節目の年を迎えていた。
被爆者がおよそ10人に1人になった広島でも、半世紀訴え続けてきた
核兵器廃絶の願いを、今後いかに次世代に伝えていくかが、
被爆50年の最大のテーマであった。

そんな時、「原爆投下は正しかった」と考えているアメリカ人が
数多くいるという、われわれ日本人に冷水を浴びせるような
ニュースが飛び込んできたのである。

アメリカの国立スミソニアン航空宇宙博物館が、1995年6月に、
第二次世界大戦終結50年を記念して、世界で初めて原爆を投下した
B29爆撃機「エノラ・ゲイ号」を展示する計画を立てていた。
その計画は、広島の平和記念資料館や長崎の国際文化会館資料館
から借りた被爆資料の展示もあわせて行う、という内容だった。
スミソニアン博物館の担当者が来日し、広島市や長崎市から
被爆遺品などの資料を借りる交渉もすでに行われていた。
どの資料を貸し出すのか、具体的な打ち合わせも進んでいた。

ところがその矢先の1994年10月、展示する被爆遺品や被爆の実態を
伝える資料の点数を減らすというスミソニアン博物館の発表が
あったのである。被爆の実態を伝えようとする展示に対して
アメリカ国内での批判が高まり、上院・下院議員も巻き込んでの
論争に発展しているというのが、その理由だった。

「原爆投下は正しかった」 そんな、日本では信じられないような
主張がアメリカで沸き起こったのである。アメリカ国内の
こうした動きに対して、広島・長崎の被爆者の人たちはもちろん、
日本のテレビ・新聞などマスメディアの報道もアメリカ批判の
色合いをにじませていた。しかし、スミソニアン博物館の展示計画を
批判するアメリカ国内の動きは、その後いっそう広がりを見せた。

アメリカは戦後50年をそうした動きの中で迎えることになった。
明けて1995年1月30日。 スミソニアン博物館の展示計画から、
被爆遺品などの展示が削除されることが発表された。



以上が事の推移です。

次に本の全体像を実にうまく要約してある、
ディレクター右田千代氏の巻末のあとがきより一部を抜粋


〜前略〜
原爆投下が身体や心に残した傷痕の深さ、長年にわたって被爆者を
苦しめてきた放射能の影響、50年経った今も実現しない
核兵器廃絶を願う思いの強さ。
そして戦争がもたらした傷に人々が今も苦しみ、戦争により人々の
人生が根本から変えられてしまうということ、「戦争とは何か」を、
私は広島の人々から教えられた。
被爆者の方たちが訴える「ヒロシマの心」すなわち「核兵器の廃絶」
「再び被爆者をつくらない」という願いを世界に伝えることこそが、
われわれ広島で報道の仕事をする者の義務であると思うようになった。

「原爆投下は正しかった」とアメリカの人々の多くが考えていることを
知った時、まず頭をかすめたのは、「なぜ大量殺戮をもたらした
原爆を正しいものと考えるのか」という、素朴な疑問だった。
広島の人々が半世紀もの長い間、精神的・身体的に苦しみながら、
生涯をかけて訴えてきたことは、無駄だったのだろうか。
「ヒロシマの心」を、世界中の人々に通じるメッセージだと
思ってきたのは間違いだったのだろうか。 今回の番組に
取り組んだのは、これらの問いに対する答えを探すためだった。

広島からアメリカに取材に出かけるまでは、アメリカの退役軍人
たちの声を批判的に聞いていた。どうしたら彼らに「ヒロシマの心」
をわからせることができるか、という思いもあった。
アメリカの人々が原爆投下を正当化する理由を尋ねるために、
全米退役軍人協会の幹部たち四人を訪れた時、
いきなり私は彼らから質問をぶつけられた。
「あなたは原爆投下をなぜ正しいと思わないのか?」
「原爆投下は正しかった」という考え方を持つのは
なぜなのかを問うためにアメリカを訪れたはずが、
逆に「なぜ正しいと思わないのか」と問いただされてしまったのだ。
四人の元アメリカ軍人たちにじっと見つめられ、私の答えを促す
その真剣な様子に、何か答えを出さないことには、自分の
聞きたいことにも答えてもらえないということだけはわかった。

戦争が早く終わった理由は、一つではないと思う。原爆投下も
その一つの理由だったかもしれない。しかし、
そのもたらしたものは、戦争を終わらせたということ以上に、
悲劇的なものだったと日本人は思っている。だから、日本人は
原爆投下を肯定するようなことを言われると賛成できない。
という意味のことを伝えた。

しかし彼らは「広島への原爆投下が戦争を終わらせたのは
事実ではないのか」と心底納得できないようだった。
彼らだけでなくアメリカの退役軍人の多くは、原爆投下を
正当化する理由として、仲間を戦争で失ったり
自ら死の恐怖にさらされた体験を語った。
四面楚歌のなかで、私は、広島にいてアメリカ人の意見に
憤慨していた時とは違う気持ちを味わっていた。
彼らの真剣な表情を目のあたりにし、それぞれの戦争体験を
知ると、一般市民ではなかった軍人の彼らもまた、
戦争で受けた傷が深いことにあらためて気づかされた。

さらに取材を進める過程で、日本が戦争をやめようとしなかった
ことや日本軍のアジア諸国での戦争責任を非難する声を次々耳にし、
しかも、それが原爆投下を正当化する考えと直結していることを知った。
「日本軍が戦争を始め、それを最後まで終わらせようと
しなかったのではないか?」
「原爆が投下されず戦争が長引いていたら、
もっと犠牲者が出ていたのではないか?」
「日本は戦争中に、原爆投下よりもひどいことを
アジアでやったではないか?」
「被爆者だけが、戦争の犠牲者か?」
アメリカの人々を取材するなかで次々に投げかけられる問いに、
私は明確に答えることができなかった。日本人であるのに、
私は原爆投下の意味についてどれほど考えてきたのだろうか?
と自らを振り返らざるを得なかった。原爆投下に感謝する彼らの
姿に「戦争」の姿を広島と違う面から見せられたような気がした。

原爆投下が多くの市民を標的にしたこと、原爆が放射能によって
長年にわたって人間に不安を与え、自然を破壊し続ける兵器で
あることなどの点で、原爆投下の罪深さを否定することはできない。
原爆投下が戦争を終わらせたとしても、
被爆者が体験した苦しみは変わらない。
しかし、アメリカ人が見せてくれた「戦争」の姿もまた、事実であろう。
このジレンマのなかで、あらためて見えてきたのは
「戦争とはいかに重大な過ちであるか」ということであった。
戦争は敵味方に関係なく、人々の心に癒しがたいものを残す。
原爆の恐ろしさを半世紀訴え続けてきた人々と、
「原爆投下は正しかった」と断言する人々。
原爆投下の是非をめぐる認識は違うが、
「戦争によって自分の人生や家族を奪われたくない」
という思いでは、同じだったに違いない。

広島側から見ていた「戦争」と、今回アメリカの人々と出会うことで
初めて見えてきた「戦争」。この二つはまったく違う表情を
しているようで、二つの表情をあわせることで初めて本当の姿が
現れたように感じた。そこに番組を作る動機となった最初の疑問、
「なぜ原爆投下を正しいと考えるのか」への答えがあった。

〜中略〜

どうすれば「ヒロシマの心」核兵器廃絶、再び被爆者を出さない
という願いを世界の人々と共有できるのか、確かな答えはまだない。
しかし、今回の原爆論争の取材を通して、日米の原爆観の違いや
戦争が残した共通の傷痕を知り、戦争を知らない世代の私も
戦争を知る世代と同じ問題を始めて共有できたような気がする。
「戦争とは何か」についてもう一つの答えを教えてくれた、
アメリカ人たち。命の尊さ、毅然として生きることの素晴らしさを
教えてくれ、さらに今回の原爆論争を通じて
「希望をもち続けること」を教えてくれた被爆者たち、
双方に心から感謝を申し上げたい。
広島の平和記念公園に燃える「平和の灯」は、地球上から核兵器が
なくなった時に消される。その日が来るよう、希望をもって
自分にできることをしていきたいと思う。50年前の原爆投下の
是非をめぐる論争を経て、今私たちは新たな出発点にいる。




私がこの本を読んでまず感じたのは、アメリカは偉いなということ。
スミソニアンの展示は結局圧力に屈してしまいましたが、
その裏の見えない部分で着実に原爆投下の是非について再検証が
進んでおり、先進的な教師は原爆についての討議を生徒にさせて
自分の考えを押し付けるようなことは絶対にしません。
いろんな点で日本よりもはるかに問題意識をもって自国の
過去の行いを検証する姿は立派です。それも戦勝国なのに。
もっと驚いたのが、再検証の動きは原爆投下の直後から
あったということ。敵国日本に対して原爆を落とすことは
どんなに非人道的であっても感情的に肯定して当然なのに、
批判勢力があり、その勢力が存在できることはすごいことです。

それにひきかえ、当時の日本は社会全体に
異論を許す空気があったでしょうか?
また当時の日本が原子爆弾をもし持っていたらどうでしょうか。
軍部は使いまくって、当時の日本の民衆は喝采するだけ
だったのではないでしょうか。
人それぞれに違った感慨や感想を抱かれるでしょう。
いろいろ考えさせられるいい本です。

ある意味でアメリカにとって原爆投下の是非とは
日本においての先の戦争の再評価問題、靖国問題と
過去の自分を見つめなおすという点で非常に共通性があります。

中韓のいちゃもんはまったく筋違いで無視するに限りますが、
日本は日本で感情に任せた過去の歴史の肯定や賛美なども
歴史の教訓を未来に生かすためにはしてはいけないことです。
日本を真に未来に誇れる国にしたいのならば、
アメリカに負けないぐらい、自ら真摯に自国の過去の行いを
その時に取り得たいろいろな選択肢を検証しつつ、
改めて振りかえるべきではないでしょうか。

それにしても本の活字を移すのがこんなに大変とは(笑)
次の機会にはOCRでも使おうか・・・(←実は使ったことがない)
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